能を確立したことで有名な世阿弥は『花鏡』の中でこのように書いています。
離見の見にて見る所は、
すなはち、見所同心の見なり
(『花鏡』舞声為根)
これは、役者は演じながら同時に観客にはなれない。けれど観客と同じ気持ちになろうと努力することはできるという意味。この言葉は能だけではなく、ビジネスにも通じる心構えだということで、かなり有名な言葉のようです。知りませんでしたが・・・
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『花鏡』の中で、世阿弥は次の3つの視点について書いています。
- 我見(がけん)
- 離見(りけん)
- 離見の見(りけんのけん)
我見というのは自分自身の視点。そして離見は観客からの視点。離見の見については先程述べた通りです。
世阿弥は技術を向上させるには、自分を俯瞰(ふかん)して離見の見で見ることがとても重要だと言っています。
つまり、我見と離見を同じにすることができれば技術は自ずと向上するということ。
俯瞰というのは高いところから見下ろすということです。つまり、客観的な視点で観察する必要があるということですね。あなたも今日から離見の見を大切にしましょう。
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現代社会において離見の見は身近になっていますが・・・
恐らく、世阿弥の時代には自分を俯瞰して見るというのはかなり難しかったと思います。自分の姿を見る手段と言っても鏡くらいしかありませんからね。それに引き換え現代社会では様々な道具があるので、離見の見と言っても身近に感じられるのではないでしょうか。
例えばカメラやビデオカメラ。最近ではスマホやタブレットで撮影する人が非常に多くなりましたね。そのまま撮影して直ぐにインスタやYouTubeに投稿できるので凄く便利です。
しかし、撮影するだけでは離見の見とは言えません。
もちろん、ただ流して見るだけというのも違います。
俯瞰して客観的に見るということができて初めて離見の見ということになるでしょう。また、現象面だけを見ているのでは次に繋げることは難しいのではないかと考えます。何故そうなったのか、それは何故なのか・・・何故、何故、何故・・・
Whyを深堀していくことで真の原因に辿り着けるものと考えます。
うちの息子はいつも「手元が上がる」と指摘されるので、先日の試合の後に自問自答を繰り返していました。
↓
相手が怖いから。
相手が怖いのはナゼ?
↓
相手に攻められているから。
相手に攻められるのはナゼ?
↓
自分から攻めていないから
という結論に至ったようです。まるで禅問答のようですね。それを踏まえての今日の稽古。どうだったでしょうか・・・
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離見の見で弱点に気付く!
今日の稽古は七段の先生二人と若手五段のK先生にお願いしました。七段の先生との稽古では、打てたり、打たれたり。でも、打ち切ろうと思っていたので、そこそこ目標達成できました。
しかし・・・
若手五段のK先生(♀)相手にはボコボコに打たれてしまいました。
何故打たれるのか・・・
何となくわかりました。離見の見で弱点に気付いたような感じですね。何となく解ったのですが、その先がわかりません。どう対策をすれば良いのか。
でも、七段の先生方もK先生にことごとく打たれておられたので、やっぱり皆さん苦手なのかも。(笑)この先生を克服したいので、もう少し打たれて対策方法を考えたいと思います。(まだ打たれるのか?)
離見の見(りけんのけん)ですよ!覚えましたか?是非、明日の少年指導の後の一言として使ってください。(笑)
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