怒涛の三連休を終え、自分の体中から悲鳴が聞こえているような気がする管理人です。こんにちは。
ちょっとやり過ぎたかな・・・とは思うのですが、本当に充実し3日間(4日間)でした。
- 金曜日:午後から会社のお祭り(BBQなど)⇒食べ過ぎたので帰りにジムへ
- 土曜日:中学校の体育祭(途中で抜けて1.5時間の一般稽古)
- 日曜日:栗東市剣道連盟の合宿に参加
- 月曜日:地域の高体連主催稽古会に参加(途中抜けてジム)
という感じでした。休日って体を休める為のものという認識があったのですが、逆に酷使してしまいましたね。
ちなみに、昨日は午前中に基本稽古、午後に練習試合と地稽古という予定だったので、基本稽古に参加し、休憩時間と練習試合の時間を抜け出してジムに行ってきました。その後、会場に戻って中高生相手に地稽古。とっても良い稽古ができました。
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ところで、以前読んでいたミランダ・カーの「Treasure Yourself」を少し読み直していたところ、前書き(?)に書かれていた言葉が気になりました。
どんなチャレンジも障害も・・・道をふさぐどんな岩も・・・”わたし”という人間を創る助けになってくれた、そう気付くようになりました。
凄く前向きな言葉ですよね。私も色んなことを経験して、そう思えるようなできごともありました。しかし、全ての出来事をそういう風にはなかなか考えられません。まだまだ未熟者・・・ということでしょうか。
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どんな人が相手でも!
この3日間の稽古はいつもよりも基本稽古の比率が多く、凄く充実した稽古ができたと思うのですが・・・
基本稽古をすると本当に自分の未熟さを実感します。最近、本当に下手だな~って思うんですよ。
昨日も中高生の中におっさん一人混ざって基本稽古に参加していたのですが、全然納得のできる打ちができませんでした。指揮のK先生からは、
と言って頂けたのですが、自分としては全く納得できず。例えば応じ技。元立ちが掛かり手に打ち易いように打ってくれる上手な人って居ますよね。そんな時は上手く打てます。そんなの打てて当たり前という感じです。
しかし、自分勝手に打ってくる人や打突動作に癖のある人が元立ちの時って全然打てないんですよね。どんな人が相手でも、有効打突になるような打ちを打ちたいと思っているのですが、なかなかできません。
高段の先生方はどんな人が相手だったとしても、上手に打たれます。だから、私はまだまだ未熟者。具体的には、相手のタイミングや竹刀の軌道を覚えて、予測して、それに合わせるということができません。
実は、他にも駄目な点が見付かりました。
応じ技の元立ちにて
日曜日の合宿でも応じ技の稽古があったのですが、自分が元立ちとして未熟だということも実感させられました。その時の稽古内容は
- 元立ちが面を打つ
- 掛かり手は1本目は面を打たせる
- 2本目と3本目を応じる
というものでした。1本目の面打ちを元立ちに打たせることで、打突のタイミングや打つ前の癖などを見極めるのが狙いです。しかし、この時の元立ちとして打つ1本目の面打ちが有効打突になるような打ちではありませんでした。
無意識に相手に応じられることを想定して打ってしまっているので、打突自体が基本稽古の面打ちよりも軽くなっていたのです。普通に打っても打突が軽いのに、更に軽くなるので話になりません。
指導するときには
って言ってるのに、自分の方が全然できてないということです。情けないっす。
まとめ
打突動作については、『キレイ~~!!』なんて良く言われる私ですが、実際は全然綺麗な打突などできていません。それは見せかけだけの美しさなのです。
しかし、自分の未熟さに気が付けたことで、何とか克服して”わたし”の剣道を創っていきたいものです。
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